白洲三四郎ブログ

白洲三四郎(しらすさんしろうshirasusanshirou)がミニマリスト計画を実現するまでの記録。旅立ちのために、断捨離と節約を実行中。

テレビを断捨離して5年半が過ぎて思ったこと。

2013年の12月7日に引っ越しをしまして、その時に、テレビ断捨離しました。 

といっても、その時は、それほど「断捨離」とか「ミニマリスト」という言葉に関心はなく、ただ「テレビのない生活」をしてみたいと真剣に考えていたからです。 

それから、5年半ほどの月日が流れました。その間、テレビがほしいと思ったことはありません。 

テレビは、なければないで済むものなのですね。 

思えば、生まれた時から、家にはテレビがありました。それから、ずっとテレビとともに暮らしてきたのですね。 

ですから、テレビを捨てることは、大きな事件であるはずでした。しかし、それほどでもなかったのです。

なぜか?

 

なぜ、それほどでもなかったかというと、テレビはどうしても必要なものではなかったからにほかなりません。 

テレビの断捨離

帰宅すると何となくテレビのスイッチを入れてしまう。まるでテレビがBGMのようになっていた生活が長かったのですね。

現在は、テレビの占めていた場所を、デスクトップ型パソコンがどかんと居座っております。

テレビの代わりを、パソコンがしている、だけなのかもしれない、と思うと空しいですね。

確かに、オンデマンドでテレビ番組を選んで、パソコンで見たりもしていますから……。

パソコンの良いところは、テレビと違って、情報を自分の意志で選べることにあります。

だらだらと、何となく見ているということは、パソコンの場合はほとんどありません。

断捨離とか、ミニマリストとかいう言葉には、無駄なことを捨てて身軽になるという意味があります。

と同時に、シンプルになることで、自分の意志で行動できやすくなる、流されないことで、創造的になり、その結果として豊かになる。

それが、断捨離ライフ、ミニマリスト的生活の本当の魅力だと思うのです。

この5年半、テレビのない生活をして、私はクリエイティブになったでしょうか。正直申しますと、なりきれていないと感じています(汗)。

もっと、強く、激しく、断捨離しなければ、ミニマリストにある、神々しいまでの「潔さ」は手に入れられないことがわかってきました。

結論は、こうです。

テレビを捨てたぐらいでは、ミニマリストにはなれない。

でも、テレビを断捨離したことが、ミニマリストへの道を加速させる、きっかけにはなると信じています。