今回のテーマは「ミニマリストの条件」です。
ミニマリストとは所有物を最小限度にとどめている人のことを指す、その定義は間違ってはいません。
しかし、物を持っていなければ人は幸せになれるわけでは、もちろんないのですね。
私が今もなおしっくりと来ない「ミニマリスト」という言葉をあえて使っています。
その理由は、「ミニマリスト」というキーワードに、真に豊かな暮らしを営める、重要なヒントが含まれていると直感しているからかもしれません。
そう、ミニマリストは「豊かさ」を象徴するキーワードなのです。
では、豊かな暮らしを実現するために、ミニマリストはどうあるべきなのでしょうか。
深代淳郎をご存知ですか?
かつて朝日新聞の「天声人語」を担当し、名コラムニストと賞賛された文筆家でした。
大学生の頃は、私も深代淳郎の愛読者だったのです。
この深代淳郎の天声人語が単行本として出版された時に、ドナルド・キーンが書いた推薦文の中に以下の一節があります。
彼は人間の現象に限りない関心を示し、計りがたい愛情を抱いて書き続けた。『天声人語』は立派な文学であり、彼の記念碑である。
「人間の現象に限りない関心を示し」という意味を伝えるために、ドナルド・キーンはテレンティウス(紀元前ローマの劇作家)という人の書いた『自虐者』という喜劇の台詞を引用しているのですが、その言葉が非常に興味深いのです。
Homo sum, humani nihil a me alienum puto
私は人間であり、人間と関係のあるものなら、私に関係しないものはない。
西欧では実に有名な名言であって、キケローをはじめとして多くの偉人たちも、この言葉を座右の銘であると公言してきているそうです。
で、私は何を主張しようとしているのでしょうか?
実はこの名言「私は人間であり、人間と関係のあるものなら、私に関係しないものはない」という生き方(生きてゆく上での根本姿勢)を「ミニマリストの条件」の1番目にすえたいのです。
もっとわかりやすく言いますと、ミニマリストは「持たない暮らし」を実現する者ですが、世捨て人、隠遁者であってはならないということ。
人間に対する無関心ほど、真のミニマリストから遠い存在はありません。
どうしてでしょうか?
なぜなら、人間に旺盛な興味を持ち、人間と関わり続ける人でなければ「本当の豊かさ」は得られないから。
私利私欲や利害だけの「つながり」なら、ないほうがいいでしょう。
そう打算的な関係ではなく、ドナルド・キーンが言ったように「計りがたい愛情を抱いて」、人間と関わり続ける姿勢こそ、真のミニマリストの姿だと私は思うのです。
人と関わらない方が、一時的には安楽かもしれないし、苦悩を避けられるかもしれません。
しかし、人への関心、人との関わりを断捨離してしまったら、人として終わってしまうのではないでしょうか。
人から遠ざかる時、人は「豊かさ」を手放してしまう気がしてならないのです。
人ともっと濃く、もっと深く関わり続けること。
真のミニマリストへと向かう、私の「ミニマリストへの心旅」は続きます。