白洲三四郎ブログ

白洲三四郎(しらすさんしろうshirasusanshirou)がミニマリスト計画を実現するまでの記録。旅立ちのために、断捨離と節約を実行中。

ミニマリストという生き方は、孤独な旅に似ている?

ミニマリストという言葉が流行っていますね。ファッション用語とまでは言いたくありませんが、かなりスタイリッシュな意味でミニマリストという言葉は使われているようです。

聴いた感じも、カッコよく、似た意味で使われる「断捨離」みたいな仰々しさがありません。

ミニマリストのブロガーさんにお聞きしたところ、ミニマリストは若い年代に多く、男性も多い、断捨離をしている人は主婦の方が多く、年齢層も高いそうです。

こうした「ミニマリスト」ブームに、私自身は少し違和感を覚えています。

断捨離も、ミニマリストも、本来は、決して格好いいものではないと私は日々強く感じるようになってるから。

本来の旅が、決して楽しいばかりでなく、茨の道も珍しくないのと同じように、ミニマリストへの道も、平坦であるはずがないと私は思うのですが、いかがでしょうか?

 

中村雅俊が主演した「俺たちの旅」が示した、本当の自由とは?

旅人

最近、時間が空くと見ているテレビドラマに「俺たちの旅」があります。 

中村雅俊が主演した、1970年代半ばに放送された古いテレビドラマです。

好きなドラマではあったのですが、このドラマに「旅」というタイトルが使われている意味がよくやくわかった気がしました。

人生が旅であるという概念が生きていた時代だったのですね。同時代に放送された山田太一ドラマに「男たちの旅路」がありますが、ここにも「旅」が入っています。

「俺たちの旅」は青春期のドラマ、「男たちの旅路」は生きるということを真正面から見据えた人生ドラマです。

正直、「男たちの旅路」は文句なく名作ドラマだと言えますが、「俺たちの旅」は、B級ドラマぐらいに思っていました。

しかし、今回「俺たちの旅」を見返してみて、このドラマこそ「持たない暮らし」の中で、登場人物が体全身でひたむきに生きようしていることから、ミニマリスト的な生き方を考える上で最良の参考書であるとさえ感じたのです。

「俺たちの旅」の中村雅俊が演じる主人公は、貧乏だから物が持てないわけではなく、物を捨てて(断捨離をして)持たない暮らしをしているのでもありません。

物だけでなく、常識や一般概念や社会通念、はたまた恋愛からも縛られない自由な生活を目指して苦悶している、と同時に全身で楽しんでる

自由は気軽ではありますが、線路の上を走れないので、安楽ではありません。

この安楽ではない「非束縛状態」の中にこそ、本当の豊かさがある気がしてなりません。

ドラマ「俺たちの旅」については以下の記事で語りました。

⇒ドラマ「俺たちの旅」の中村雅俊の生き方に究極のミニマリストを見た。

ミニマリストという生き方は、恋愛に似て重労働なのです。

ミニマリスト的な生活とは、カッコイイ暮らしを意味するのではないと私は思っています。

感傷的な要素むしろ少なく、厳しい規律を重んじるストイックな生き方なのです。

ミニマリスト的生き方は、自由で余計なものを持たないけれど、独立独歩であるがゆえに、ある意味、不格好な生き方だと言えます。

ひたむきな恋愛が重労働であるのと同じように、ミニマリストという生き方は、決して安楽ではない、そんな気がしているのです。

真剣に相手を愛した恋愛は、なりふりかまわない無様さを露呈してしまうもの。スタイリッシュな恋愛などに真の歓びはないでしょう。

ミニマルライフは、極めてゆけば、ひたむきな青春が寂しく悲しいように「孤独な旅」に似てくると私は推察しています。

断捨離を目指し、ミニマリストに憧れる人が求めるキーワードである、夢、希望、幸福、豊かさ、創造性などは「孤独な旅」の中にこそ息づくののかもしれません。

だから、私はしきりと旅に惹かれるのでしょう。

私が計画する旅の詳細はこちらに⇒私のミニマリスト計画。「詩的トラベルライフ」実現へのシナリオを作成

微力ではありますが、新しい旅の形を体現したいと夢想しております。

旅が人生にたとえられる時代でもなく、旅人という職業も現在社会にあるはずはありません。

吟遊詩人という言葉も死語となった今、どんな旅の形を求めるべきなのか、それが問題ですね。