毎日が旅になる暮らしへ

白洲三四郎(しらすさんしろう)がミニマリスト計画を実現するまでの記録。「毎日が旅になる暮らし」の準備(断捨離など)についてお伝えします。

今住んでいる街「高円寺」を断捨離すると決めた、のっぴきならない理由。

今年の12月で、東京都杉並区高円寺に引っ越してきて5年になります。

振り返ると、この5年間は、大きな病気こそしませんでしたが、いろんな面で辛かった気がします。

辛いといっても、絶望的というわけではなく、何だか、空回りしているうちに、年月が過ぎ去ってしまったことに、危機感を覚えるのです。

このままでは、マズイなという思いが日ごとにつのってきました。

そこで、今住んでいる街「高円寺」を断捨離すると決めたのです。

今回は高円寺を断捨離すると決めた理由について、お伝えしましょう。

 

 高円寺は古い下町の風情と若者たちの夢がクロスする街。

高円寺「純情商店街」

高円寺の商店街を歩くと不思議な気分になります。

古い下町の風情が漂っているのに、駅前では若者が路上ライブをやっており、新旧がまじりあって、独特の街を形成しているのです。

名古屋に大須観音という街がありますが、高円寺に似ています。

どちらも、面白い街です。

でも、今の私には、面白い街は必要ありません。

以下、私が今住んでいる街「高円寺」を出よう(断捨離しよう)と決めた理由についてまとめてみますね。

「高円寺」を断捨離する3つの理由。

「祭り」は与えられるものではなく、自分の中にあるものだと思うから。

高円寺は夏の「阿波踊り」をはじめ、大きなイベントが4つあります。

土日は毎週お祭りのように、若者たちが押し寄せ、カフェや飲食店は大混雑に。

一言でいえば活気のある街なのですが、私自身はその「活気」に乗れませんでした。

高円寺のイベントには内発的なエネルギーを感じません。

外から意図的につけたという「嘘っぽさ」が見えてしまうのです。

私は高円寺の悪口を言いたいのではありません。

街のイベントなどは活性化のために無理やりやっているものがほとんどででしょう。

私が強く思うのは、人為的に仕掛けられた装置によって、楽しもうという気持ちを捨てたいということ。

祭りは自分の中にあるものだと思うのです。

だから、高円寺が面白い街であっても、その面白さに酔いしれることはしたくないのです。

それよりも、自分の中にある「祭り」の炎を燃え立たせたい。

だから、一見面白そうな街「高円寺」からは出たいと思っているのです。

飲み屋があまりにも多すぎて、文化の香りがしないから。

どうしてこれほどまでに飲み屋を増やしてしまったのか、と思うほど、高円寺には飲み屋が多い。

私はカフェ(喫茶店)が好きなのですが、チェーン店ばかりで魅力は薄いとしか言いようがありません。

おそらくは家賃が高すぎるので、個人では駅近くで経営を続けるのが困難なのでしょう。

駅近くには、個人経営のカフェは1件しかありません。

カフェも文化だと私は思っているのですが、カフェで文学書を読んでいる学生を見つけることは困難。

商店街には、書店や画廊がほとんどなく、文化の香りがしません。知的な雰囲気がないのです。

一つの街に定住することをしない生き方に変更したから。

祭りとか文化の香りとかは、副次的な理由に過ぎません。

あくまで3つ目の理由が、「高円寺」を出ると決心させたのです。

高円寺の最大の魅力は便利なことでしょう。

もっと家賃の安い街もありますが、1万円くらい安くなる程度ならば、高円寺に住み続けたい方が賢明でしょう。

高円寺を出ることをなかなか決心できなかった、もう一つの理由は、淡いけれども確かに感じられる人との結びつきです。

私にも少ないながらも行きつけの店があり、店員さんと世間話するくらいの仲にはなっています。

そういう関係も、ひとり暮らしの私には貴重でした。

にもかかわらず、ついに高円寺を出ると決意したのは、もうどの街にも定住しないと覚悟したからにほかなりません

つまり、自宅を断捨離し、家を持たない暮らしに移行するのです。

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自宅を断捨離し、旅暮らしをすると親戚の人間に話したら、「家なき子になるの?」ときょとんとしていました。

これからの私は一つ所に住み着くのではなく、流れてゆきます。

あたかも空を流れる雲のように、さすらうのが私の暮らしのスタイルになる。

だから、高円寺が嫌いで仕方がないわけではなく、もうどの街にも定住しない「旅暮らし」をすると決めたから、高円寺を断捨離すると決めたのです。