今回のテーマは「言葉は星のようなものではないか」ということです。
最近、アイフォンで音楽を聴くことが多くなりました。
疲れた時に、横になって音楽を聴く時に便利なのです。
先日、電気を消して、枕元にアイフォンを置き、バロック音楽の名曲をかけていました。
その時、摩訶不思議なことが起きたのです。
私が見た神秘的な映像は、夢ではなかった。
以下が、その出来事の一部始終です。
真っ暗闇の底で聴いていると、光が見えました。
最初は蛍の光のように小さかった瞬きが、次々に増えてゆく。
しばらくすると、光の河のようになって、闇の中に流れ始めていたのです。
身動きもせずに、じっとその神秘的な河を見つめていると、その光が何であるかがわかりました。
音が光となって流れているのです。
もっと正確に表現するならば、音に反応した、私の感覚というか、心が、光って、河になっているのですね。
それはいつしか、星雲のような大河になっていました。
いかがでしょうか。
実に不思議なんですが……本当に上のようなことが起きたのでした。
疲労のために見た、夢か幻覚だと考えたのですが、そうではないので、この記事を書いている次第です。
音に反応した私の心が光になって現れた。
思うに、いかに日常生活では、使っていない感覚が多いことか。
心や魂は、本来は、もっともっと反応したいことがあるのに、現実社会では、そういうものには滅多に出逢えない。
私が聴いていたのは、バロック音楽の名作でした。
その夜は、私の心は大歓びで、音楽に反応していたのです。
そう、心は確かに歓んでおりました。
私の心の相当に深い層が、音楽に反応して、光を発したと推測されます。
心理学はかなり勉強したはずですが、今回の経験について学術的な解説は、今の私にはできそうもありません。
最近、真剣に考えていることがあります。それは「言葉について」です。
「言葉」は「星」のようなものかもと思い始めた理由。
言葉はなかなか他人には伝わらないということは、言葉による表現に苦心したことがある人ならば、痛感しているはず。
では、どうしたら、他人に自分の思いを伝えられるのでしょうか?
そのためにしなければいけないことは?
言葉は基本、伝わりません。
ですから、言葉には人々の果たせぬ願いが込められているのですね。
闇の底から、光の河を見たことで、私は「言葉は星のようなもの」かもしれないと感じました。
どんな巧みな美的表現も、人の心に届かないことがあります。
それはどうしてかというと、言葉を受け取る側が、星を見ていない(星が見えていない)時があるからです。
星は自らの力で光っているわけではなく、見る人の心の光を受けて、初めて輝くものではないでしょうか。
ふと、言葉を天空に浮かぶ星のようにできたら、と夢想したのです。
そして、いつか、その星を誰かが自らの心の光で輝かせてくれるそんな時が訪れるかもしれない……というのも夢のような願いですよね。
先ほど私は、言葉には人々の果たせぬ願いが込められていると書きました。
だとすると、夜空に浮かぶ星々のきらめきは、人々の果たせぬ願いの結晶なのではないかと思われてくるわけで……。