長いこと使ってきたFacebook(フェイスブック)を昨日、断捨離しました。
アカウントを停止しただけでなく、フェイスブック自体を見ないと決めたのです。
これまで交流してくださった方々には感謝しています。今後は、機会を改め、個別にご連絡いたしますので、どうぞ、よろしくお願いいたします。
以下、Facebookをやめた理由をあげてみることにします。
Facebookが登場した頃は、誇大な広告の嵐が吹き荒れていた。
Twitter(ツイッター)によせ、Facebookにせよ、世の中に出現した当初は、大評判でした。
これを使うと、人生が激変する、ビジネスが大成功する、などといった大げさな宣伝文句が次から次へと出てきましたよね。
その一方では、Facebookを使わないと時代に乗り遅れるといった情報操作が盛んに行われてきました。
正直、私はインターネットのヘビーユーザーなので、Facebookを使わないことには抵抗はありますよ。
しかし、あまりにも私にとってFacebookが無意味に感じられてきて、そういう感じが積み重なってきて、リオ五輪が終わった時、プチン、とやめてしまったのです。
以下、フェイスブックを断捨離した理由をあげてみますね。
Facebook(フェイスブック)を断捨離した5つの理由
1)自分が求めている人間関係を生み出せないし、育てられない。
2)自分の日常を公開することに意味が感じられない。
3)Facebookというシステムは利用者よりも運営者の方に有利にできているという思いが強くなってきた。
4)面白味がないし、何ら創造的には機能しないシステムである。
5)ビジネスを好転させるために、いつか活用できるかと思っていたが、どうやら機能しないようなので諦めた。
いつか役立つと期待して、Facebookを使い続けた年月の空しさ。
自分なりにFacebookをやめた理由を考えてみて、要するに「やめる決断がつかないだけであって、何となく長期間ダラダラと使わされてきた、それが実態だった」ということ。
これは、ちょっと空しいですね。いつか役立つと思っていたけれど、結局大したことはなかった……。
何があるかわからないので、アカウント削除ではなく、アカウント停止にしていましたが、今は完全にアカウントを削除しました。
断捨離、ミニマリストの視点からFacebookを見ると、まさに無用の長物のように思えてきます。
では、Twitterはどうか?
こちらは、フェイスブックよりもさらに使っていない(使ってこなかった)ので、いつ断捨離しても良いと感じていますが、はてさて、どうなるでしょうか。