断捨離(だんしゃり)という言葉は一時のブームとともに忘れ去られるような気がしていました。
しかし、どうやら、ブームではなく、日本人の生活に「断捨離」は深く根をおろしはじめているようです。
断捨離とは、簡単に言えば、余計なものを捨てて、シンプルに暮らすことを指します。
ではなぜ、人は余計なものにあふれた生活から離れたいと願うのでしょうか?
危機感が断捨離ブームの発端
多くの人が断捨離に走るのは、生存本能からだと私は強く感じています。
ちょっと、言葉が固いでしょうかね。
人は誰でも、強く生きたいと願うもの。
でも実は、余計なものがたくさんありすぎると、生命力は衰えてしまうのです。
要するに、純粋なパワーが出てこなくなってしまう。
例えば、哲学や芸術は、物資や情報があふれかえっている時代には花咲きません。
芸術文化は、人の生命力を弱らせるような余計なものがあり過ぎる時代は衰えてしまうのです。
では、人の心はどうか?
情報がたくさんありすぎたり、物があふれていれば、人の心は乱れ、不安におちいります。
また、余計なもがありすぎたら、希望が見えにくくなるのが、人の心というものではないでしょうか。
断捨離は人々の悲痛な叫び
「断捨離」が盛んなのは、現代社会の病理に対する人間の生存本能が反抗しているからだと私は信じています。
日本の経済はこれまで、人に「何となくほしくなるけれど、実はあってもなくてもどちらでもいい、むしろない方がマシなもの」を大量に販売することで成立してきたかに見えます。
でも、さすがにそれが成立しなくなってしまった。
「このままだと、危ない」「この調子で行くと、息苦しくなるばかりだ」「本当に必要なものが何なのかわからなくなってしまっている」と、多くの人たちはようやく気づき始めたのです。
これ以上、情報や物を売りつけられたら、自分の生活は破壊されてしまう。
身も心も腐りきってしまう、と人間が抵抗している……それが「断捨離」ブームの真相ではないでしょうか。
その意味で、断捨離は生活の知恵とかいう生やさしいものではなく、人間の悲痛な叫びだと言えるでしょう。
断捨離は人生道の追求にもつながる
最近、断捨離についていろいろ考えます。「引き寄せの法則」との関連性にも気づきました。
断捨離は心の解放術でもあるので、自宅の断捨離も視野に入れた「旅立ち」にも通じるのだと思います。
私だけででなく、このように断捨離を、人生そのものを探求する術、つまり人生道としてとらえる人は多いのではないでしょうか。
断捨離が物を捨てるためのテクニックだけだとしたら、これほど長く、多くの人たちを巻き込み続けることはなかたはずです。
私もまた、断捨離とはずっと付き合ってゆこうと心に決めています。