断捨離したい本を資源(古紙)回収の日(毎週木曜)に処分してゆくことにしました。
今週はいろいろ捨てたのですが、ノウハウ本を中心に断捨離しました。
実はノウハウ本を、とてつもなくたくさん持っているんですよね。
「ノウハウ本」中毒(依存症)だった自分自身との決別。
引っ越しの度に、ノウハウ本は大量に処分してきました。
それでも、本棚にはまだまだあったのです。
以下の写真は、今回、断捨離したノウハウ本の一部。
思えば、実に多種多様なノウハウ書を買って読んできました。
もちろん、勉強になったことは多々あります。
でも、何か、しっくりこなかったのですね。
私が最も好むのは、ノウハウ本ではなく、小説や詩などの文学書です。
いろいろ考えているうちにふと、ノウハウ書の類いを読んでいる自分を卒業したいと思い立ったのです。
あるがままを受け入れ、運命に身をゆだねるべきだと……。
かなり前のことですが、ミステリ小説の書き方に関するセミナーに参加したことがあります。
文庫本を25冊くらい出版している現役の推理小説家である講師が、セミナーで話した言葉が今も記憶に刻まれています。
推理小説と純文学小説との違いについて。
講師は以下のように言ったのです。
謎を提示して、その謎を解くのがミステリで、謎を謎のままに残すのが純文学である。
最近私が思うのは、人生には正解がないから面白いのではないか、ということ。
謎が解き明かされてしまったら、生きてゆく張り合いがなくなってしまうのではないでしょうか。
そういう意味で「ノウハウ本」のことを思ってみると、なぜ私が、バッサリと「ハウハウ本の断捨離をしようと決断したのかが見えてきます。
ノウハウ書は、本来は正解がないものを強引にモデルを提示して「これが正解ですよ」と物事を簡単しようとしている、と思えなくもありません。
人間一人ひとり顔が違うように、性格も資質も能力も、まったく違います。
だから、自分に合った方法は、自分自身で体得するしかありません。
でも、人は弱いもの。
ノウハウ本を読めば、上達のスピードが速くなるのではないか、成功への鍵が見つかるのではいか、などと過大に期待してしまうのです。
謎が解けないと不安なので、ついついノウハウ書に手を伸ばしてしまいます。
でも、謎は解けないままの方がいい、と最近になって思い始めました。
あるがままを受け入れれば、あとは吹いてきた風に身をまかせるだけ……それが人生なのではないかと考えるようになりました。
ノウハウ本を読まなくなる、4つの訪れとは?
かと言って、ノウハウ本を読んでいる人を私は軽蔑できません。
なぜなら、10年以上もずっとノウハウ書の類いを、私自身が読み続けてきたらからです。
私は明らかに「ノウハウオタク」でした。
ノウハウ本の類いを断捨離してしまった私ですが、今現在、ノウハウ本を読んでいる人にできるアドバイスはそれほど多くはありません。
私はノウハウ書は、必然的に読まなくなるものだと思っています。
それまでは、納得がゆくまで、読んで読んで読みまくればいいでしょう。
ただ「訪れ」を待てばいい。
ノウハウ本を読まなくなるのは、以下の4つのうち、どれかが訪れた時だと私は考えています。
●自分でノウハウ本を構想し、書き続け、それを完全に仕上げてしまった時。
●自分の体験や感性しか信じないと決心した時。
●あるがままを受け入れ、吹いている風に身をまかせようと思った時。
あっと、もう一つありました。
●旅立ちの時。旅の途上で死ぬと覚悟を決めた時。
旅先に1冊しか本を持って行けないとしたら、私はノウハウ本は持ってゆきません。
たぶん、詩集になるでしょうね。
いや、本は1冊も持ってゆかないかもしれません。