「旅暮らし」とは、生活に必要なものを常に身一つにまとって暮らすこと。
旅人は自宅を持ちませんから、帰宅という概念は消え去ります。
当然のことながら、これまで生活に(自宅において)不可欠だったものの多くは、要らなくなるのです。
その不必要なものの一つに、デスクトップパソコンがあったので、私自身、ビックリしました。
というのも、2000年くらいからずっと私は、デスクトップパソコンにかじりついて暮らしてきたからです。
まさか、自分に最も近しいものを断捨離するとは、思いもよりませんでした。
ついに、愛用し続けてきたデスクトップパソコンを断捨離する時が来たのです。
デスクトップパソコンを捨ていると、断捨離は一気に加速する。
長い、長い。デスクトップパソコンを使い続けた日々が、長すぎる。
思えば、20年近く、我武者羅にデスクトップパソコンと格闘し続けてきました。
以下が、私が現在愛用しているデスクトップパソコンのセット。
デスクトップパソコンとは、正式には右隅にあるタワー本体だけを指します。
しかし、液晶モニター、キーボード、マウス、スピーカー、外付けハードディスクなどの周辺機器があって初めて機能するのですね。
ということは、逆に言えば、デスクトップパソコンの本体が要らなくなれば、周辺機器も必要なくなることに。
上の写真の中でこれからも使うのは、ノートパソコン、タブレット、照明スタンド、時計だけです。
このように、デスクトップパソコンを処分すると、断捨離は一気に加速します。
デスクトップがなくなると、断捨離が一気に進むだけでなく、ライフスタイルそのものが、ガラッと変わってしまうのです。
私の生活のまん真ん中にデスクトップパソコンがあった、といっても過言ではありません。
では、これからの私の人生のまん真ん中には何があるのでしょうか?
暮らしのまん真ん中には、私自身がいる。
寝ても覚めてもパソコンという生活からは、おさらばです。
デスクトップパソコンは場所もとりますが、ネットサーフィンから、映画・ドラマ・音楽などの鑑賞などまでが楽しめ、大げさに言えば、自宅にアミューズメント施設がある感じです。
自宅をディズニーランドに変えてくれたのが、デスクトップパソコンでした。
私は少し前に「祭りは与えられるものではなく、自分自身の中にある」という意味のことを書きました。
その意味から、自宅にもディズニーランドは要らないのです。
これからは、自分の中にある祭りやディズニーランドを楽しみたい。
旅先で出逢う風景や人によって、私の胸中に灯がともり、私の中の炎が燃え上がってくれればいいと期待しているのです。
バーチャルリアリティー(仮想現実)には、もう飽きました。
今後は、パソコンを通じて物象を見るのではなく、自分の肉眼と心眼で、ものごとをしかと見たい。
自分の五感を思い切り開放して、森羅万象を感じとりたい。
それが、私にとって「生きること」なのだと思います。
これからは、私の暮らしのまん真ん中には、デスクトップパソコンではなく、自分自身がいることになるのです。
デスクトップパソコンには「長いことご苦労さまでした。いろいろお世話になりました。本当にありがとう」と声をかけて、お別れしたいと思っています。