引っ越しに向けて少しずつですが、準備を進めています。
その準備で重要となるのが、やはり断捨離ですね。
荷物で厄介なのは本に違いありません。
でも、CDも意外に侮れないのですね。けっこう重いし、スペースをとりますから。
これまでも、引っ越しの度に、CDは捨ててはきました。でも、多くても数十枚程度です。
しかし、今回は、CDを1枚残らず、すべて断捨離することに決めました。
その理由とは?
まだこれだけのCDがありました。
断捨離するために、テーブルの上に本とCDを並べてみました。
手前に並べてあるのがCDです。
引っ越しの時にかなり処分し、引っ越してからも、ネットオフに1回売っています。
でも、まだこれだけありました。
本当に全部、断捨離してしまいます。
いらないものを捨ているのではなく、すべて処分してしまうのですから、本当の意味での「CDの断捨離」となるのですね。
では、なぜ、CDを全部捨ててしまうことに決めたのでしょうか?
CDをすべて断捨離すると決心した理由。
何しろ1枚残らず捨てると決めたのですから、相当な覚悟めいたものがあるはずですよね。
では、その理由をお伝えしましょう。
1)CDの音楽は、私の心を過去に向かわせてしまうから。
「CDの断捨離」は「思い出の断捨離」だとも言えます。
CDに録音されている曲を聴けば、その曲を初めて聴いた頃のこと、その曲をしきりと聴いていた頃のことを思い出してしまいます。
それは、今の私にはマイナスでしかありません。
心を過去の方に向けて暮らしたくないのです。
年齢をひとつ重ねるごとに、より前向きでありたい。現在と未来を大事にしたいと私は強く希求しています。
過去が私にとって必要になるのは、未来に向かう今の自分を鍛え上げてくれたり、能動的に確かな形を生み出す時だけです。
読書はそうした創造的な時間を与えてくれますが、音楽鑑賞ではそれは難しいと私は判断しました。
したがって、自分の心を無防備に、非生産的な状態のまま過去に向けさせる強い力を持つCDは、新しい旅立ちを目指す今の私はこのタイミングで、どうしても断捨離しないといけないのです。
2)音楽をCDで聴くことがほとんどなくなったから。
CDは場所をとるから捨てたいという意味もあります。
しかし、それよりも、強い理由はあるのです。
音楽をCDで聴く習慣がほぼなくなってしまったことが大きい。
なぜそうなったのか?
音楽を違う方法で聴けるなったからです。
スマホ、タブレットで、場所を選ばずに聴けます。
音楽は、YouTubeなら無料で、アマゾンプライムなら、格安で聴き放題なのです。
これでは、高額なCDなど買わなくなるでしょう。
中には、いちいちCDを再生機にかける、そうした古風な儀式が好きだという人がいます。
でも、CD再生という儀式自体に、私の心を過去に向かわせる力があるので、CDを再生するという行為を否定せざるをえません。
だから、音楽はCD以外の方法で聴いた方が、私は安全なのです。
3)沈黙の時間を1秒でも増やしたいから。
スマホが人間から隙間時間を奪ってしまったことについては、以前このブログで書いたことがあります。
実は、音楽も人から隙間時間を奪っているのですね。
何もしなくてもいい時間ができたら、反射的に音楽を聴くのではなく、違うことをした方が有益だと最近強く思うようになっています。
ストレッチでも散歩でもかまいません。読書もいいでしょう。
窓を開けて、空の青さに心を浸らせるのもいいかもしれません。
隙間時間を安易に音楽でうまてしまうのは、避けたいのです。
耳も疲れているので休ませてやりたい。
身も心も疲れているので、回復させてやりたい。
そのためには、無音状態、即ち「沈黙」が理想なのです。
「沈黙」は、回復だけでなく、さまざまな創造的な機会を人に与えてくれます。
「思索」「詩作」「妄想」「着想」「決断」などなど……。
現代において、得られるのが最も困難で、実は最も必要なのが「沈黙」であると思えてなりません。
だから、「沈黙」が得られるチャンスを、CDでつぶしてしまいたくないのです。
CDの断捨離はリサイクルショップではなく、ゴミ出しで完了せたい。
CDは「可燃ごみ」に分類されるようです。
したがって、可燃ごみの曜日に、CDを断捨離することにしました。
リサイクルショップに売ることも考えましたが、自分から離れるまでの過程が長いので、精神的な負担が大きいのです。
断捨離とは離別でもあります。そのため、辛さをともないます。
辛い行為は、短時間で完了させたい。
だから、最も短い時間で終わるゴミ出しで、「CDの断捨離」を完了させることに決めました。