帽子は好きでいろいろと持っています。ちょっと数え切れないほどクローゼットにあるのですね。
ただ、実際にかぶるのは、ごく限られたものだけ。
ということで、かぶらない帽子を断捨離しました。
今回した「帽子の断捨離」で、いろいろ思うところがりましたので、それについてお伝えしますね。
帽子を断捨離したら、大切なことが見えてきた。
これが断捨離した帽子。夏物を中心に処分しました。
左上と右下は、価格とデザイン性が高いですが、私には似合いませんでした(汗)。
私だけではないかもしれませんが、たくさん持っている割に、実際にかぶるのは数個なのですね。
どうして、そういうことになるのか?
衝動買いが原因。
熱くなって買ったけれど、一回かぶってみると、色や形がしっくり来ずに、二度とかぶらないこともあるのですね。
それと、店員さんにのせられやすいこと。
ほめられると、すぐに買ってしまいます(汗)。
最近、強く思うのは、「お気に入りの帽子」など、滅多に出逢えないということ。
一生のうちでも、数個くらいしかないでしょうね。
私が持っている帽子は、以下の記事でご紹介しています。
今のところ絶対的なお気に入りはありませんが、夏シーズはこれ、冬シーズンはこれ、というふうに、季節ごとにかぶりたくなる「お気に入りの帽子」があります。
だから、当分の間は、帽子は買わないことにしました。
いえ、ひょっとすると、もう帽子は買わないかもしれません。
自分が好きなフォルム、自分が好きな色も、ようやく、ここに来てわかってきているのですね。
ですから、まずは、帽子屋に入らないこと。
私が住んでいる高円寺は、帽子店が多いのです(苦笑)。
断捨離とは、愛である。
今回の「帽子の断捨離」で思ったことを、以下でまとめておきますね。
新品を買うより、現在持っている帽子のほこりをとったり、手洗いしたり、手入れの方に力を入れてゆきたいと思っています。
ブラッシングしながら、帽子を見つめる時間も増やしたいですね。
ちなみに、今年の夏にかぶった帽子は、以下の4つでした。
この4つの帽子は、断捨離できません。
今回、断捨離しなかった帽子を、愛して、愛して、愛しぬきたいと心に決めました。
断捨離の本当の意味は、自分が愛するものを見つけ、その愛を深めてゆくこにある、と今回の帽子の断捨離で気づきまた。
山本常朝の「葉隠」の中にある「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」はあまりにも有名ですが、その言い方を真似て、私なら以下のように言いたいのです。
「断捨離と云ふは、愛する事と見つけたり」。
要するに「断捨離とは、愛である」、このことに断捨離の道は極まるのではないでしょうか。
私は「断捨離は愛」であることを肝に銘じて、断捨離を続けます。