いろんな事情が重なりまして、お金をあまり使えない生活環境になりました。
これは決して自分で目指したわけではありません。
ともあれ、世間でいうところの「貧乏生活」に突入したことは確か。
ところが、この貧乏が、意外と居心地、いや「生き心地」が良いのです。
予期しなかったことですが、案外、この「貧しい暮らし」が自分の居場所、立ち位置として、最も心地が良いのではないか思い至ったのでした。
これはもう、本気で「貧乏生活」を目指すしかないと……。
貧乏は、私の生活の原点、心のふるさと。
思えば、貧乏に慣れていないわけではありません。
二十代の頃は詩を書いておりまして、まったく生活力がなく、極貧生活を送っておりました。
社会に出て、三十歳になるまで、三畳一間、家賃1万円のアパートに住んでいたのです。
予備校時代は二畳半のボロ下宿でしたし、大学在籍中も、四畳半一間で暮らしていました。
しかし、そういう貧乏生活は、苦しいというより、充実した日々だったと思います。
詩はいっぱい書けたし、仲間もいたし、恋人がいたこともありました。
これは決して郷愁とかではなく、本当にあの貧乏な日々は「豊か」だったと、しみじみ感じられてくるのです。
あの「貧しさ」に帰ってゆきたい、というと、センチメンタル過ぎますかね?
「貧しさ」は自分次第では手に入る「奇妙な憧憬」だと感じられるというと余計におかしいでしょうか。
幻灯機の中の世界のようにほのかでありつつ、手を伸ばせばつかめてしまうリアルな憧れ……。
もう、心に決めました。「貧乏」の方に、自分の意志で歩き出そうと。
今回、たまたま、経済的にリッチではなくなった、この境遇をチャンスとして活用し、本気で自分から「貧乏生活」にどっぷりとはまってしまおうと決意しました。
以下、貧乏生活を目指す理由を、整理してみますね。
貧乏生活のメリット
1)浪費生活では雑になりがちだったが、貧乏生活では「丁寧な生き方」ができそうだ。
2)精神的に豊かでいられる可能性が高い。
3)生活水準を下げれば、働く時間を減らせるので、好きなことに時間を使える。
4)お金で買えない「真に美しいもの」に眼が行くので、美意識が高まり、創造的に暮らせる。
5)お金目当てで近づいている人がいなくなるので、気持ちが荒まない。
6)良い友達ができそうな予感がする。
7)詩が継続的に書けるようになるかもしれない。
いかがでしょうか? いいことずくめですね(笑)。
貧しさの中にも、ゆとりを。
ここで注意すべきは、貧乏になり過ぎないこと。
カードの支払いに追われたり、お米を買う余裕もなくなるとかでは、豊かにはなれませんよね。
ですから、経済活動もキッチリしてゆきます。
生活はかなり切り詰めますが、 そこに「ゆとり」を残すことは忘れたくありません。
まさか、若くもない年齢になって、こんな決心をしようとは思ってもいませんでした。
果たして、理想の貧乏生活は実現するのでしょうか?
これからは、具体的かつ精細に「私の貧乏生活」を、ご報告しますね。