旅に出たいと思っているのですが、なかなか出発できません。
その理由の一つに「謎の発熱」があります。
調子良くなったかと思うと、またすぐに「微熱状態」に戻ってしまうのです。
当然のことながら「風邪」だと思って、薬を飲みます。
で、治ったかと思うと、また寒気がしてしまう。
いろいろ原因を考えた結果、微熱の元凶はストレスだと思い至りました。
そのストレスはどうやら、潜在意識というべきか、心のかなり深いところから発生してきているようなのです。
では、発熱までをも引き起こすストレスの原因は何なのでしょうか。
そして、どうしたら、そのストレスを和らげることができるのでしょうか。
節約、ダイエット、断捨離などがストレスの原因?
ストレスの原因で思いつくのは、今私が目指している(心がけている)節約、ダイエット、断捨離などが自分を知らぬ間に縛り付けて苦しめているのではないか、ということ。
これは、大いに考えられることですね。
ただ、もっと深く探ってみると、いくらなんでも、節約や断捨離やダイエットくらいで「発熱」するだろうか、という疑問にぶち当たりました。
他の精神的な要因か?
それとも、風邪ではない、他の内科的な病気なのでしょうか。
生き方の方向が間違っているのではないか。
これは直感ですが、「微熱の原因」は、精神的な病でも、内科的な病でもない気がしています。
どうやら、生き方を根本的な間違えているのではないか、と真剣に考え始めました。
どこかで、何かのタイミングで致命的なボタンの掛け違いをしてしまったらしいのです。
では、どこが間違っているのでしょうか?
また、間違った方向をどのように修正したら良いのでしょうか?
「生真面目さ」が知らぬ間に自分を深く苦しめている。
自分で言うのもおかしいのですが、私は「生真面目(きまじめ)」です。
この性格が私を縛り、本来の天真爛漫な自分を押し殺し、素直に生きることにブレーキをかけてるのではないでしょうか。
「発熱」は、ブレーキが焼けて熱を発していることだと考えれば、すべてが理解できます。
本来は、自分の生き方にブレーキをかけてはいけないのです。
おかしな言い方ですが、人間は本来、真面目に生きる必要はありません。
他人に迷惑をかけなければ、自由に生きて良いのです。
それなのに、無理をして「生真面目」に生きてしまう、自分の不器用さを、このタイミングで捨てないと、ブレーキが焼けるだけでなく、エンジンも故障してしまうでしょう。
エンジンが故障するとは、人にとっては人生そのものからのリタイア(棄権・退場・引退)を意味します。
では、自分の生き方にブレーキをかけないで自由奔放に生きるとはどういうことなのでしょうか?
これからの私の仕事は「本当の自分」になること。
現在、私はネットで人と関わることを生業としています。
ここにも、無理が生じているのでしょうか。
もう、10年もの間、ネットで顔の見えない方々のサポートを続けています。
しかし、本来私はわがままな人間であって、ひと様のサポートをする柄ではないのかもしれません。
それがどういうわけか、おそらくは生来の人懐こさゆえに、人と関わる仕事を続けてきました。
人との関わりが、対面ではなく、ネットというところが苦しい。
真剣に、時期をみて、この仕事に一区切りをつけたい思っています。
いえいえ、今の仕事が特別向いていないというわけではなく、もうそろそろ「自分らしい自分に帰る」時が来ているのだと思います。
今の仕事以外のどんな仕事でも、もう私には合わない気がしているのです。
では、私がこれからやるべき仕事とは何か?
旅することが仕事、ライフワーク、いや、生きることなのだと思います。
空を流れる雲のごとく、自由に旅をして暮らす、それが本来の私だと思うのです。
ですから、仕事を変えるというより、生き方を変える時が来たというべきでしょう。
このブログでは、旅立ちのために、断捨離、節約、ダイエットなどが必要だと思って、それらを実行しようとしてきたのですが、それが私の中で「きしみ」を生んでいた。
そんなことを「生真面目」に考えずに、いや、最初から何も考えずに、旅に出れば良かったのですね、きっと。
真面目な努力よりも、風に身をまかせる方が自分には合っている。
もう、旅しかありません。
旅に出るために、多くのものを断捨離し、ミニマリストになると決めたのです。
ミニマリストになって旅に出ることは、自分らしく生きたいからに他なりません。
私にとってのミニマリストは、決してオシャレな洗練されたライフスタイルを意味しません。
「微熱」に苦しむほど、生きることに切羽詰まっているので、何も持たない暮らしに自分を突入させることで、まずは自分自身を救済したい。
孤独になり、自由になり、わがままになり、心を解き放って旅に出ること以外に、「微熱」から逃れる術はないと思っています。
「微熱」は私の魂の底から湧いてくる「うめき声」にほかなりません。
この自己救済(ミニマリストになって旅人になること)によって、うめき声はしずまり、「本当の自分」になれるのだと思っています。
風にこの身をまかせ、ただ、さすらうのみ……。