今も大してお金を持っていませんが、20代の頃、とてつもなく貧乏だったのです。
大学を中退し、アルバイト暮らしに突入。
家賃1万円のアパートに7年くらい住んでいました。
あの頃の生活レベルは相当に低かったのです。
29歳と10ヶ月で就職するまで続いた貧乏生活を、今回は振り返ってみることにします。
ひょっとすると、そのことで、私のこれから進むべき道が見えているかもしれませんから。
トイレは怖ろしく汚く、当然、共同でした。
炊事場も共同で、ここもいつも悪臭を放っていたのでしょうけれど、あまり気にしたこともなかったのです。
部屋は三畳一間でした。友人が遊びにくると、必ず「ここは独房か?」と怪訝そうに言うのです。
その問いに対し、私はいつも「そうかもしれないな」と答えていました。
小さな窓が一つあるだけの三畳一間。
窓枠はアルミサッシではなく、鉄でできていたので、余計に独房っぽく見えたのでしょうね。
ただ、今想い出したのですが、窓は南にあったのです。
ですから、意外に明るかったのかもしれません。しかし、明るい部屋だという印象は今もありません。
ただ、カーテンレールはなかったことを、なぜかハッキリと憶えています。
職業は転々としていましたが、比較的長く続いたのが、ホテルオークラの皿洗いでした。
月収は7万円程度。しかし、2食つくので、それが大きかったのです。
何しろ、家賃が月1万円ですから、7万円でも生活できました。
部屋の中には、布団以外は何もありません。
アパート自体に風呂などついているわけもなし。テレビもなし、エアコンもなし、冷蔵庫もなし、箪笥もなし、電話もなし。
物の見事に、部屋には何もありませんでした。
近くには野鳥保護区域に指定されている深い森があり、森の上に広がった夕焼けの空の赤さは今も忘れられません。
不思議です。あの時眺めた夕焼けほど美しい夕焼けを、見たことがありません。
衣類などほとんど買ったことがなく、もらい物を身につけていました。
定職がなく、アルバイト暮らしに明け暮れていても、不安感はありませんでした。
若かったし、夢もありましたし、彼女がいたこともありましたし……。
しかし、その彼女が急に私の目の前から消えた時、就職しようと決めたのでした。
彼女が去った後、私の胸には大きな空洞ができてしまい、それは埋まることはなかったのです。
心の空洞によって、私は初めて人生の現実と対峙することになりました。
あの頃の地をはうような貧乏暮らしに、多少の郷愁はありますが、あの頃に戻りたいとは思いません。
若さもないし、人生に幻想を抱くには、現実を知り過ぎたからでしょうか。
考えるのは、昔のことではなく、未来のことです。
昔を思い出しても、明日のことばかりイメージしてしまいます。
思い返すと、やはり貧乏生活には、夢というか、ロマンが必要なのだという気がしてきます。
若くなくても、彼女がいなくても、ロマンは持てると思うのです。
「赤貧洗うが如し」という言葉がありますが、この「赤」は「何もない」という意味だとか。
「何もない」といえば、思い浮ぶのが「ミニマリスト」という言葉ですね。
「ミニマリスト」とは、ずいぶん、オシャレというか、スタイリッシュな言いまわしですが、実は「ほとんど何も持たない暮らし」というのがミニマムライフなのです。
先ほど、貧乏生活には夢やロマンが必要だと言いました。
もう一つ、「潔さ」がないと、貧乏生活は耐えられないと思いますね。
洗い流したように何もない暮らしを「潔い」と感じられるかどうか、そこが貧乏生活に意味を見出せるかの重要なポイントではないでしょうか。
夢を胸中に抱きつつ、潔いほどに貧しい暮らしを、果てして心底楽しめるかどうか、それは今後の私にとって、大切な課題になりそうです。